有権者が選挙で誰に投票するかについて、以下の2種類がある。
ひとつは、もう何が何でも特定の○○さんに投票する人。この人が自民党から出馬しようが共産党だろうが民主党だろうがその人しかないんだというケース。いきすぎると個人崇拝になる。民主主義なんてキレイゴトだしねーレベル。
もうひとつは、自分の望む政策を実行してくれるエージェントとして候補者を選ぶ人。いじめ問題について自分はこういう意見を持っていて、あの人の言っていることはそれと近いからあの人に入れておくかみたいな。ただ、これはこれで問題で、自分と同じ意見を持っている候補者なんてそうそういやしない。とくに今の日本の場合、少子化問題や教育問題などの内政については共産党の主張は良いなと思っても外交や憲法観が真反対なのでどうもなぁみたいなミスマッチが発生する。よりマシな政党や候補はどこだという一種の妥協が。ゆくゆくは、人を選ぶのではなく政策を選ぶような形に選挙を変えて、政治家は有権者の選んだ政策を忠実に実行していくようになると日本はじまったな、となる。民主主義2.0。政策セントリシズム。そこまでミムセントリックを進めることを人間さんは許さないかもしれませんが。
参議院選挙が来年の夏に行われる。何が論点か。何が争点になるか。何を争点にするのかじたいがきわめて政治的な問題になる。北朝鮮問題が中心になると、北朝鮮について寛容な党派は立場が弱くなるかもしれない。タウンミーティングのやらせ問題が中心になると、そういう古い政治を長く続けてきた会派の立場が弱くなるかもしれない。いじめ問題、首長の汚職問題……何が争点になるのだろうか。
いま福島県・和歌山県・宮崎県の知事による談合事件が非常にクローズアップされている。3人が狙い撃ちされているけど、黒い首長は本当にあの3人だけかな~。こわいでしょ~(by西原先生) 地方の首長を捕まえておけば、やっぱ地方自治ってむりじゃね? って主張が現実味を帯びてくる。ソースがなければ作れば良いじゃない。やっぱり日本って民主主義の手の届かないところで物事が進んでいる気がするよね。
とにかく、「これが選挙の争点なんだぜ」というのを示すのはきわめて中立的でないといけない。普遍性がないといけない。ミギの人もヒダリの人も自分が真ん中にいると思っていて (瀬戸さんとかは違うだろうけどw)、どこに中心点を置こうが、それは真ん中になってくれない。でもそれではラチがあかないので、新聞でよく取り上げられているテーマにするとか、今だったらブログで話題になっていることから、うまいこと吸い上げていくしかない。統計的処理とか集合知とかの幕を上からかぶせて主観を客観に見せるのです。見せるのです。学術的裏づけがあればよいのです。よいのです。とりあえず何か出さないと叩きも始まらない。