2009年3月のダイヤ改正の概要が発表された。前々から予告されていたとおり「はやぶさ」と「富士」が廃止になり、「ムーンライトながら」が季節臨化される。研究で遅くなったとき、飲み会で遅くなったとき、徹カラに途中で飽きたとき、浜松駅を3時33分発に発車するこの1番電車には大変お世話になった。大学院の修了とともにこの電車の定期運行が終了するというのも感慨深い。この感慨に浸りすぎていると大学院を修了できなくなって私の人生が終了するかもしれないのでドライにいきたい。
大学を2時半に出て4キロほどの道のりを歩く。昔は姫街道経由で浜松駅を目指していた。途中に読売新聞の販売店があり、いまから1日が始まる配達員の人がこれから1日が終わる私の横でバイクを発車させていたのをよく目にした。真夜中に出歩く不審者と間違えられないように交番の前をやや緊張して通り過ぎて坂を下ると市役所前の交差点に出る。この交差点は横断歩道がなく、その代わりに地下道が設けられている。この時間ともなると地下道では何人かがダンボールなどで陣地取りをしており、私は彼らの睡眠を邪魔しないよう足音を潜ませ、かつ迅速に地下道を通り過ぎる必要があった。この地下道は8方向に階段がある複雑な構造をしたもので、速やかに通り過ぎようと焦って進むと意図しない方向へ出てしまうこともしばしばあった。浜松は二輪メーカーが集積しているが行政は二輪は二輪でも自転車には厳しく、地下道にはスロープがない。自転車はコース取りに気をつけないと同じブロックをただ周回する羽目になる。市役所前交差点で地下道を通るのが煩わしくなったので、最近は姫街道でなく六間道路を経由することにしている。
市役所前交差点から浜松駅への主な道路は、南北に3つ・東西に3つの田の字型に並んでいる。そのうち真ん中の十字部分であるゆりの木通りと有楽街は風俗店や飲み屋の多い歓楽街となっており、この時間に歩くには分が悪い。以前も友人が一人でここら辺を歩いたとき、柄の悪い輩に絡まれタバコを目の前に突きつけられたことがあるという。下辺の鍛冶町通りも似たようなもので、特に外国人がたむろしていることが多い。左辺の連尺通りを進むと、連尺交差点は横断歩道がなく、曲がってゆりの木通りへ入るか地下道へ下る必要がある。ということで、上辺・右辺経由で浜松駅を目指すのが最適解となる。ただ、上辺の道路には通り名がついていないようだ。この通りはマンションや銀行、駐車場や雑居ビルが並んでおり、ひとつ南のゆりの木通りと違って深夜はほとんど誰もおらず静まり返っている。常盤町交差点を右折して右辺の田町中央通りも駐車場や銀行が並ぶ通りで、ゆりの木通り以南が歓楽街の入り口となっていて第一通りとの交差点にややリスクがある以外は問題ない。このコースで早歩きをすると、だいたい駅まで40分で行ける。
深夜の浜松駅は北口の1箇所のみ開いており、入り口に警備員? の人が2~3人いて駅へ入る私へ「おはようございます」と声をかけてくれる。広いコンコースの東端のみが通れるようになっていて、通路はそのまま改札の前まで伸びている。自動券売機と自動改札は出札所に近い2つのみがそれぞれ稼動していて、出札所には駅員が2人ほど詰めていた。少なくとも4人分の深夜の人件費、コンコースやホームでフル出力されている照明、そして自動改札や券売機などの電力などが消費されている中、私は単に定期券を自動改札に通してそのままホームへ上がってしまう。オフシーズンだと浜松からくだりの「ながら」に乗る客など5人といない。寝台特急が何本も停まり、それら単価の高い客の相手をするおまけとして「ながら」の客を待っているのならまだよかったかもしれないが、深夜に浜松駅に停まるくだりの寝台特急は「サンライズ瀬戸・出雲」1つだけ。季節臨化されるのはもっともだし、むしろ2008年度まで残しておいてくれたことがとてもありがたい。「ながら」の使い勝手は浜松駅の発車時刻が20分以上前倒しされ豊橋まで全車指定席になった2007年3月の改正でだいぶ悪くなったけど、それでも卒業のときまで待っていてくれたことがありがたい。
「ながら」は浜松で長時間停車するため、夏冬は保温のために扉は半自動になっている。ボタンを押すとやや大きな音がして扉が開く。オフシーズンはだいたいガラガラだが、それでも週末は混んでいることもあった。一番後ろの座席の右側に座ると、座席と窓の位置の関係で首のすわりがよく、とくに飲み会の帰りなどはよく寝られた。トイレは特急にも使われるだけあって313系のよりゆったりしていて、飲み会の副作用をよく処理していた。豊橋までの間に起こされて指定席券を購入することもあれば、車掌が来ないまま豊橋に着いてしまうこともあった。車掌はたいてい複数人乗務していてそれに運転士も加わるわけで、この電車の運行コストがオフシーズンの乗客数でカバーできるとは思えなかった。
座席ではどうあれ熟睡できないわけで、寝ぼけなまこにずさんな判断でしばしば大変な目にあった。一番ひどかったのが、大高駅だと間違えて飛び降りたら幸田駅だったというものだ。右を見たらホームがあったので乗り過ごしてしまったとろくに確認もせずに降りてしまったのだ。隣の岡崎駅なら30分ほどで始発が出るのだが、幸田では始発は70分後で、ホーム中央にある待合所で震えながら待ち続けた覚えがある。他の失敗はたいてい乗り過ごしで、大高駅で反対電車を16分待ったり、名古屋駅で20分待ったりした。蒲郡で1時間抑止されていることに気づかずひたすら寝てたこともあった。帰宅して大急ぎでシャワーを浴びて朝食を取り、そのまま浜松行きの区間快速で折り返したこともあった。人身事故で遅れた「ながら」をひたすら待ち続けたこともあった。
くだりホームに降りて見上げた5時50分の空は季節によってまったく色が違った。夏の空はすでに明るく、昨日から迷い込んだ私に時が止まっていないことを教えてくれた、冬の空はいまだ夜の続きで、これから寝る私を安心させてくれた。お気に入りは日の出が6時前の時期で、朝から逃げるように原付を西へ走らせることになる。俺の夜はまだ終わっていないんだ!とか一人盛り上がることで家までの気力を持たせることができた。
世間は新幹線0系が引退だとかで騒いでいるけど、私にとっては高校への通学で毎朝乗ったパノラマカーの引退と、大学通学や乗り鉄でお世話になったムーンライトながらの季節臨化のほうが大きい。どちらも特に見送ったりはしないけど、彼らの変わりに新しく鉄路を走ることになる車が、また次世代に思い出を残してくれたらいいなと思う。