ラーメン二郎三田本店でぶたラーメンを食べた。この神に祝福されたかのような豚をいただけるのはまさに三田本店ならではの体験だ。
列の前方に2人組の若者がいた。二郎がはじめてのような者とそれに講釈をたれる者だ。だいたいこういう講釈が聞いてて心地いいものであることはない。はじめての人を誘って解説するのは必要なことだとしても、あたかも自分がラーメン二郎に一番詳しくて全てに通暁しているかのような口調でうんちくを垂れ流すのは感心しない。
やがて彼らが着席して、助手が「ニンニク入れますか」と聞いた。講釈をたれていた者は「ニンニクマシマシヤサイマシマシアブラ」と言い、食べ始めた。もうしばらくしてやっと私も着席でき、「ヤサイニンニク」とコールした。
おいしくラーメンをいただいていたら、彼らの座っているあたりの様子がおかしい。よくよく顔を上げてみてみると、さっき講釈をたれていた者がまだ半分以上は残っている状態の丼を差し戻している。やおら立ち上がり、口に手を当てて退店していった。
たまたま急に体調が悪化してやむをえず残したのかもしれないが、調子に乗ってキャパシティオーバーの注文をして打ちのめされたと解釈するのが自然な光景だった。あの講釈は完全に耳学問で、実体験を踏まえたものではなかったものではなかったのかもしれない。失敗することは悪いことではないが、自信満々を超えて虚勢を張るようなレベルに自らを追い込めるほどに、ラーメン二郎で過剰に物語を消費しようとしないほうが良いと思う。
ラーメン二郎はラーメンではなく二郎だと言う人がいる。いや、ラーメン二郎はラーメンだ。客はラーメンを食べるように行動すべきで、何かを気取ったりスノッブな態度を取ってはいけない。そのような者はラーメンそのものに叩きのめされる運命にある。